当山第一世 坂井栄信和尚 遺稿集

【術と呪文】

二回(一回20分づつ)NHK第一から「趣味の手帳」の一篇 として表題の放送をした。はじめは原稿を見ながら話したのを録音したが、講義のようでおもしろくないということで、改めて係の人が質問役になって話を引出し、あとで質問の部分を消してつなぎ合したのである。そのためにうまくつづかないところがあったり、くりかえしが多かったり、何よりも話が下手なのには、聞いていて我ながらはずかしい思いをした。

放送局の依頼は「印と呪文」ということだったので、第一日は呪術の発生と修験道との交渉、印と呪文を実例をあげて説明し、第二日は真言密教の教義の大要、特に印真言に対する考え方を述べ、これを直ちに術と結びつけるのは誤解だとする立前で原稿をつくった。後で考えると、宗教講座なら知らず「趣味の手帳」では的はずれで、再録画の申入れも当然である。話し方がかたすぎるというのは表向きの理由で、実は話の焦点を趣味中心におきかえることにあったらしく、質問も第二回の内容にはほとんどふれず、新しく雨乞いの術などがもち出された。そして題名も「術と呪文」と変ったのである。

本誌に載せるにあたって、不用となったはじめの原稿を生かすつもりでいたが、これも考えて見ると、ラジオ聴取者を対象とする初歩的知識では本誌の読者には向かない。そこで一おう放送をもととして文体を改め不足をおぎない、読みものらしい形とした。しかし どう書きかえて見たところで、しょせんマスコミの海に浮んだ小さな泡にすぎず、ご清読をわずらわすには価いしないことをお断りしておく。

術というのは、普通の常識ではできそうもない超人的神秘的なわざで、荒唐無稽な物語的なものもふくまれる。今では忍術が代表のようになっているが、昔は妖術・幻術あるいは何々つかいともいい、 飯綱の法・茶吉尼の法、新しいところではキリシタンパテレンの法などいろいろあった。これらの総称が魔法で、室町時代、応仁の乱の一方の旗頭細川勝元の息子の政元は一生魔法の修行をしたなどという話がある。現代の合理主義からはきらわれて、武術剣術柔術は武道剣道柔道と改められ、忍術はまた忍法ともいわれる。

法にもとづいて術が行われるわけで、これを術をつかうというが、その法は自分以外のものの力を引き出して自分の思うままに使うという考え方から成り立っている。こういう考え方は、原始的な宗教感情である死者の魂が残っていて特定の人の特定の祭りによって呼び出され、生きている者と意志を通じ合うことができるという古代日本人の民族信仰から来ている。この信仰がだんだん進んで、祭られる対象も死者だけでなく、生きている者も、人間以外の動物も植物も、さらに天然現象なども取上げられ、われわれの生活をささえているものはみな、魂とか精とかをもっており、その働きで人間生活の幸不幸が生れて来る。そこで魂や精に対する畏敬の念を生じ、これを祭って慰さめ和らげ、幸は助長し不幸はのぞくように祈る。さらに進んでは積極的に霊魂や精霊がもつ威力を利用し、自分の都合のよいように使い、あるいは敵の不利のための「のろい」に使うよう にもなる。

日本の古代宗教、古神道はこのようにして形作られ、やがて専門 の宗教者もあらわれた。彼等は死者の霊魂の集るところと信じられていた山岳を中心に、霊魂や精霊と交渉するための修行や祭の行事 をおこなっており、後の山伏につながってゆくのである。そこへ仏 教の中でも呪術的要素の最も多い真言密教が入って来たので、考え 方の上でも祭りの儀式の上でも、又修行の方法においても大きな影響を受けた。

真言密教を組織づけて真言宗を開いたのは弘法大師であるが、天台宗でも伝教大師以来これを取入れ、日本の密教は真言天台の二系となった。すでに奈良時代から断片的な密教経典が入っていて神仏の親和を助けていたが、平安時代以後、真言天台二宗の興隆にともなって本地垂迹説などの理論も立ち、神仏習合が完全に実現するに至った。神道者は神社に仕える神官と山の修行者の二つにわかれ、後者を修験者(略して験者、修験)、山にねて修行するところから 山伏といわれ、その宗教を修験道と呼び、のちに仏教の所属となった。魔法のもとは真言密教だという通念があり、真言秘密の法などというが、実は魔法の直接の母胎は修験道なのである。魔法者は修験者か又はその系統の者である。もちろ修験道自体が密教の教理と実践とを取入れて大成されたものであるから間接的な関係はあるが、根本精神においては大きくちがっている。たとえば雨乞いなどは、農耕を主とするわが国では一ばん切実な願いであって古くから行なわれ、今でも地方に呪術的な遺風が残っており、神官僧侶修験その他祈禱にたずさわる人たちによって旱天のつど行なわれて来たのである。その中で一ばん有名なのは、天長 元年に弘法大師が宮中の神泉苑で祈られた雨乞いである。その結果 三日間にわたって雨が降ったという。 今の人たちは雨乞いという何か迷信のように考えがちであるが、砂漠に雨を降らせるというような荒唐無稽な術とはちがって、これは密教の請雨法にもとづく修法であって、純宗教的なものである。 そのときの儀式の次第や施設等については記録が残っていないが、 請雨法の立前から推考すると、本尊はお釈迦様と竜王を主として両者の眷属が加えられていたであろう。竜王は印度の民族神で、水、したがって雨をつかさどる神で、たくさんの竜群がおり、これを統治する竜王も多く、八大竜王などといわれている。お釈迦様が誕生されたとき甘露の雨をふらしたのも竜王であり、古くから日本にも 親しまれている。神泉苑の池にも竜が住んでいると当然考えられていたであろう。

本尊および祈りに対する解釈はいろいろあるが、最も通俗的な考え方で説明すれば、お釈迦様は仏教の開祖であり、われわれ人間の救済者である。人間生活の正しいあり方即ち秩序を教えるものであり、秩序の法則そのものでもある。また竜は民族信仰の水の神であるが、密教では自然現象の中の水を動かす原動力を意味するのであって、単なる水の精というようなものから遥かに進歩した考え方に なっている。ただ本尊としての形像は、秩序の法則たるお釈迦様も、 水の原動力たる竜王も、以前の素朴な信仰対象のままなのである。そこで請雨法では、人間生活の秩序者たるお釈迦様と、現に秩序がみだれている雨の責任者たる竜王を本尊とし、その権威に絶対信仰の誠をささげ、正しいあり方にかえることを祈るのである。私利私慾を離れ、社会大衆共通の願いの宗教的表明であり、祈る者だけではなく、本尊の願いでもあり、共にその実現を祈るという立前に なっている。