悩みは尽きないけれど

悩みの根源は、一体何なのか? 人間には、大きく分けて【善・悪】【迷い・悟り】というように、分別する心の働きがあります。

言い換えると【動物的本能に走ろう走ろうとする心】と【それを制御し抑えていこうとする心】つまり人間らしく生きようとする二つの心の働きがあります。

この二つの心の働きが定まらないで、行ったり来たりしている状態が悩みという現象だと思います。
今おこっているその現象を分別せず、“純粋な心” “正しい心”“より良くより良くなろうとする心”“人間らしい心”つまりは“仏の心”で捉え生きてみてください。
それは「言うは易し行うは難し」で非常に難しいかもしれません。なぜなら、すぐに動物的本能に走ろうとする心が顔を出すからです。

そんな時は、振り切ることが大事。その動物的本能、いわゆる「鬼の心」を滅して、人間らしい仏の心に鞭を打ち、振り切るのです。しかし、これもまた「それが出来れば、悩みません」と声が聞こえてきそうです。

そこで、毎月28日に行なっている縁日護摩。
おおきな声を出し、般若心経やお不動様のご真言、御宝号を一所懸命お唱えいたします。
これは念仏とも言い、修行の一つです。自分の中にある仏の心を引き出すのにとても役に立つのです。つまり、心の悩み、分別する心をそのまま棚上げしておいて、心全体をお念仏や読経三昧といった行動に注ぎ込むことで、今抱えている悩み自体から離れるということです。
こうしたことを何度か繰り返しているうちに、いつの間にか“仏の心”つまり“善いほうの心”の働きが大きくなり、“悪いほうの心”が少しずつ浄化され、善い心になっていきます。 その結果、悪と善との行きつもどりつの心が、善の方に定まってきて、悩むという現象が消えてしまうのです。
それでも、人間の心は大変弱い。わかっていても、どうしても分別の世界、悪と善の心の狭間を行ったり来たりしてしまいます。一旦、離れて読経三昧に身をおけば、善い心に片寄り、悩み自体が消えてなくなるのに、離れることができない。 その結果、自分の心の弱さに嘆き、今度はそのことでまた悩みが増え悩むのです。

自分との約束を守ることができない時は、自分よりももっと確かな、聖なるお方へ【願掛け】をして、自分の心に鍵をかけ、あともどりしないように歯止めをかけることが大事なのです。ここでいうあともどりしないというのは、分別の世界に戻るのではなく、分別から離れたところで、一所懸命目の前のことに集中することです。

どなたにも、なにか【信じる仏】【信じる神】という対象が、おられると思います。何より一番近くにある、自分自身の仏性を信じ、自分の仏性に「願掛け」ができれば、言う事なしではないでしょうか。 分別を超えた先にあるご利益をいただけるよう、精進いたしましょう。

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