素直な心で

自然(しぜん)とは、広辞苑に「おのずからそうなっているさま」「あるがままのさま」「天然のままで人為の加わらないさま」とあります。
本来は、仏教用語であり、「おのずからしかなり」とも読みます。


パナソニックの創業者である松下幸之助氏の「雨が降れば傘をさすということは、極めて自然の状態であって、暑くなれば薄着になる、寒くなれば、厚着になるということでございます。いわば皆さんは、天地自然の法に基づくところの生活方法を行っておられると思います。」という言葉があります。
私たちは、雨が降れば一切の疑念もなく、傘をさす、そういった素直さをもっております。しかし、商売や自身の利益に関係することがおこると、天地自然の法にかなったような方法をとる方は、少なくなります。
そのような場合は、天地自然の断りから反するため、概して思うようにはならず、苦労をされる方を多く見かけます。私心をもっていくら考え行動しても良い結果には結びつかないのです。
やはり、雨が降れば傘をさすごとく、私心をいれず、また主観で物事を見るのではなく、その主観を離れ俯瞰で見ることで、ただの客観的な「問題」のみが残るのです。
このように物事を「観る」ことができれば、おのずと答えは出てくるのです。

だけれども、我々人間は、主観でどうしても物事を捉えてしまい、間違った答えを導き出してしまいます。
我々人間も自然の一部です。そして、雨が降れば傘をひらく、その素直な心、自然の心を自身では気付いていないけれども、しっかりともっているのです。この素直な心の中にこそ、偉大な力があるのです。


私が住職になって、十九年経ちます。当時から今も継続していることは、全力で祈るということです。ご祈祷を受けられたり、縁日にご参加くださるとご理解いただけるように、明日のことや、次の座のことを考えることなく、今目の前のご祈祷にのみ集中し全力でお祈りをさせていただいております。なぜならば、それが自然の行動だからです。過ぎ去った過去にとらわれ、また未だ来ない未来に不安を感じながら、今目の前のことを疎かにしてしまい全力になれないということは、不自然なことだからです。
草木が将来、切り倒されるからといって、枯れていくでしょうか。過去の出来事にとらわれ悲観的になって成長を止めるでしょうか。
そんなことは、ありません。するのは、我々人間だけなのです。しかし、我々も自然の一部であり、素直な心を有しているのも事実です。
私心に捉われることなく、俯瞰で物事を観て、素直な心で、目の前のことにのみ一所懸命お過ごしください。きっと、偉大な力が作用することでしょう。

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