お寺とは、、、

お寺の維持管理をする者として、なぜ維持管理をする必要があるのか?お寺の存在ってなんなのか?

お寺は、在家の方々が、「道」に迷われた時のために存在しているのです。

道に迷うとは、「正しい判断」ができない、わからない時におこるのでしょう。

その正しい判断ができるために、お寺があります。

判断をするのは、他の人でもなく「己自身」です。

そして私たちは、いつも「判断」に迫られています。

日々の生活の中で、細かく言えば常に何かを判断(選び)しています。

小さいことから大きいことまで、「今日の夕食は何にしよう」「学校で何を話そう」「傘持っていこう」などなど。すべては選択の連続です。判断の連続です。

 

私たちが判断する時には、「正しい判断」か「よこしまな判断」か。

また「先延ばしにするか」この三択の中で日々生活をしております。

「先延ばし」の場合でも、「先に延ばそう」と判断しているのです。

その「自分自身」で決断をしないといけないのですが、「こころ」がフラフラしていては、判断しかねます。その「こころ」を落ち着けるために、穏やかにするために「こころ」の波を静めるために「仏の教え」があります。

その「仏の教え」を絶やさず繋いでいる場所が、お寺になります。だから、お寺は必要であり、2500年たった今でも現存しているのでしょう。

 

動機はどうあれ、まずは「お寺に足を運んでいただけける」ことが、何より大切なこと。お寺はコンビニよりも多いというのは、皆さんも周知の事実でしょう。しかし、コンビニほど、入りやすくもない。そうです。敷居が高い。

それでは、布教もできません。布教できなければ、仏教を広めることもできません。

ツバメでもなんでも、まずはお寺の敷居をまたいでいただくこと。これが大事。

お寺は、住職のためにあるのでもなく、またその家族のためにあるわけでもなく、ただただ、「道を迷えし者」のために存在しているはずです。

今は、心が安定していたとしても、この「諸行無常」の世界において「絶対」は存在しません。いつ何時、悩み苦しむことになるかは、わかりません。今は、穏やかで順風満帆だったとしても次の瞬間には、崖から転げ落ちていることもある世界。

であれば、調子が良い時にこそ、つながりを結んでおくおことをお勧めいたします。そのつながる方法が、「ツバメ」だって良い。「盆踊り」だって良い。「キャンドルナイト」だって良いのです。なんでも、どんな形でもお寺と繋がっておくことが大事なのです。

そう、もしもの時のために。

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