運命は、変えられる!

宿命の「宿」という字は、屋根の下に人が百人と書きます。

ご自身のご先祖さまを想像してください。十代遡れば2048人、二十代遡れば200万人を超えるご先祖さまがみなさま後ろにおられます。ご自身のルーツを一つの屋根とするならば、その下には人(ご先祖さま)が百人(たくさん)おられることを意味しています。
※百という数字は「たくさん」という意味を持ちます。

脈々と繋がっている大きな流れの中から宿した命は、変えられないのです。
生まれた国や親、兄弟などの環境や境遇を変えることはできません。これが宿命です。

一方で、運命は自分自身の行いによっていくらでも変えることができるのです。

では、自分自身の行いとはなんでしょうか。
仏教では、この行いのことを三業、つまり三つのはたらきである「身・口・意」と説明します。行動(身)と言葉(口)と心(意)のことです。この三つの業が人生を形成しているのです。身口意の三業の選択によって、運命はより良いものへと変えることができるのです。

宿命と運命は、似て非なるものではありますが、とても密接な関係があります。

例えると、宿命とは土俵のようなもので、その変えられない環境の中で、私たち自身は運命という変えることができる状態で存在しているのです。
この避けることのできない宿命をお釈迦様は、「第一の矢」として例え、受け入れなさいと説かれます。避けることができませんので、受容するしかありません。しかし、第一の矢に続き第二の矢、第三の矢を受容する必要はありません。
避けられない第一の矢、いわゆる宿命は受け入れた上で「どのように行動するのか」が運命を左右するということなのです。

例えば、暴飲暴食をすれば、成人病ともなり寿命も短くなることでしょう。これは宿命ではなく運命です。自ら命を縮めているのです。

どうすることもできない宿命という土俵上で、どのように行動を選択できるか、どうすることもできない宿命に振り回されるのではなく、自分の選択によって運命が切り開かれるということを今一度お考えいただき、選択してくださいませ。

運命は、ご自身の行いによって、どのようにも変えられるのです。

合掌

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