2020(令和2)年 極月のご挨拶

【越年のご挨拶】

師走の候 寒さもひとしお身にしみる頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今年は、新型コロナウイルスという疫病の蔓延に、近代医療をもっても太刀打ちできないという困難に世界が直面。人間の無力さを感じいった年でありました。 私たちが生きるこの世界には、「生・老・病・死」「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」という四苦八苦があると仏教は説きます。この四苦八苦に直面する毎に、命の尊さ、儚さに気づかされ、また人間の無力さを感じさせられます。

この新時代だからこそ、今一度『人間は本当に無力なのか』についてお伝えできればと思います。

私は、兵庫県西宮市で育ちました。二十六年前の阪神淡路大震災で家は倒壊。一緒に暮らしていた祖父は、梁の下敷きとなって命を落としました。その時、父が祖父を見つめ「人間は無力やな」と一言。家が重すぎて救出すら出来ない、歯痒さからの言葉でした。

現在、私は豊中不動尊の住職を務め、僧侶という職に住しております。高校一年に被災し、経験したこの出来事を今も忘れることはありません。「人間は本当に無力なのか」という問いに、僧侶になってからも自問自答の日々を送ってきました。手を合わせ、問い続けることでその答えに辿り着く事ができました。

不安定な大地の上で、今、生きていることが奇跡。「無力」という魔にとりつかれて、身動きが取れなくなっている私を、祖父が今隣にいれば何というか。

「しっかりせい」と喝を入れるに違いありません。

そもそも、この世界で起こる事象に対して「良し悪し」を決めること自体が間違っているのです。これを分別とも言いますが、仏教では分別ではなく「無分別」を目標とします。四苦八苦ある世界で起こる現象を、己のフィルターで見るのではなく、俯瞰(仏の眼)で見ることができた時、必ずや景色は変わっていきます。要するに己の捉え方次第なのです。

新しい生活様式、新時代と題される節目に直面しております。「無力」を感じ、未来への不安もあるでしょう。しかし、こんな時だからこそ、手を止め足を止め俯瞰して「ゆっくり考える」時間を是非作ってみてください。

その環境として、新年大護摩祈祷への参加をお勧めいたします。「コロナ禍」によって、マスク着用、堂内「無言」にてお願いしていますので、「考える・向き合う」という環境が例年よりも整っております。新時代の新年の幕開けに、手足を止めて無言のなか読経、法螺貝、太鼓の響きを感じ、お護摩から令和三年を佳き年にすべく智慧をいただきにお参りください。

合掌 九拝

令和二年極月

檀信徒各位

紫苑山 豊中不動寺

住職 谷真光