サードプレイス 〜続編〜 ループに終止符を‼️

前回は、お寺が「サードプレイス/第3の場所」となる説明をいたしました。

一般的に理解されているサードプレイスは、家庭や会社で過ごす日常から離れ、「何ものでもない自分」として過ごすことのできる空間のことを言い、趣味や息抜き、心が穏やかになる場所であり、私たちにとって、とても大切な場所です。
その大切な場所は、日々のストレスを和らげる場所となりますが、お寺はそれだけでなく、ストレスの原因を解決へと導く「答え」を見つけることができる場所であり、
ここが、一般的な第3の場所に止まらない所以なのです。

では、なぜ「答え」を導くことができるのか。
そもそも、答えを導かないといけないのか?という疑問が湧いてきます。

私たちは、バトミントンやテニス、映画など、趣味の時間をもって、日常でのストレスを発散していますね。
しかし、日常の生活である【家庭や会社、学校】に戻るとまたいつもと同じようにストレスを溜め込んでしまいます。
これでは、輪廻と同様にグルグル回っているのと同じで、一向に前に進みませんね。
お寺では、輪廻するストレス生活に終止符を打つ、その「答え」を探し出すことが出来る場所です。

「探し出す」ということなので、誰かが代わりに教えてくれるわけでもなく、すぐに見つかるわけでもなく、自分で時間をかけて探し出す必要があるのです。
趣味などに時間を有している際は、心は目の前の趣味に没頭しています。これを三昧の境地と言い、この集中している時間は、目の前のことに意識が働いているので、ストレスの原因を考えないで済み、心が楽な状態になっているのです。
しかし、三昧の時間が終われば、またいつもの日々に戻り思い悩むんですね。
ストレスを乗り越える答えを導かないと一生終わらないループになり「苦」が続きます。

では、お寺に足を運ぶことによってなぜ「答え」に辿り着けるのか。
それは、お寺は環境が整っているから。
では、どのように環境が整っているのでしょう。
例えば、本堂をみてください。基本的にお堂は、無駄な物が無く風通しも良くなっております。意識が散漫にならないための環境が整っているのです。
その整った環境に座り、目を半眼にして心の波を止めようとしてください。
心の波が止まれば、その心の湖面にこの世の本質が映りだし、この世の「真理」を感得することが出来るのです。それはまさに、ストレスの原因を乗り越える「智慧」を得るということなのです。
真言宗開祖であるお大師様の著書「即身成仏儀」の中で、次のようなお言葉があります。

加持とは大日如来の大悲と衆生の信心とを表す。
仏日の影、衆生の心水に現ずるを加と言い
行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく。

つまり、常に私たちに対して「答え」は、降り注がれているのです。ただ、その答えを受け取る体制が整っていないのが我々なんだということです。
なので、心の波を止めて、答えを聞こうとする。探ろうとすることが大切なのです。
それは、趣味をしている状態の心では掴み取ることはできません。
手と足を止め目を半眼にして、心を鎮めその湖面の波を止めるように意識をしないといけません。これを禅とも言いますね。
その環境が整っている場所が、お寺の本堂に当たるということなのです。
なので、一般的な「第3の場所」では、到底得ることが出来ない特別な場所となります。

最後になりますが、お参りの方からよく言われる言葉があります。
お参りしてもいいことがありません。お参りして手を合わせても何も変わりません。答えなんて本当に降り注がれるのですか?・・・・と。
私はいつもこう言います。
答えが出るまで座り続けてみてください。考え続けてみてくださいと。
私たち人間は、精神力も体力も使う「継続する」ということがとても苦手な生き物です。
しかし、苦手や摩擦となりうる「継続」こそが、答えを唯一導く方法なのです。
ループに終止符を打ちましょう。「答え」は必ず降り注いできます。信じて継続をしてください。

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