挨拶は、言葉や動作

「挨拶」
国語辞典に曰く

①[仏]禅家で、問答を交わして相手の悟りの深浅を試みること。
②うけこたえ。応答。返事。
③人に会ったり別れたりするとき、儀礼的に取り交わす言葉や動作。

挨拶とは、そもそも仏教の言葉で、禅宗において師が弟子に問答を交えてその力量を計ることで、挨拶は禅家の真剣勝負からきています。

②の「うけこたえ・応答・返事」は、日常的に行われている「声」を使用しての挨拶です。挨拶と聞くと、この②番が1番容易に想像できるのではないでしょうか。

しかし、私は③番の「言葉や動作」の「動作」に心惹かれます。

なぜならば、声という音に頼らずとも、その人の立ち居振る舞いで、十分なまた、真剣な挨拶を交わすことができると思うからです。

今日というこの日のこの時間に、当山に足をお運びくださった皆様に対して、言葉ではなく態度を持って挨拶がしたいと常日頃思っています。その思いを表現すると、一所懸命なお唱えになるのだと思います。私にとって、皆様がご参拝くださるその行動こそが、すでに私への問いかけとなっており、真剣にお答えするからこそ、声を張り上げての読経になるのだと今更ながら感じています。

どうしても日常的に用いられる「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」などの言葉は、儀礼的になり、そこに真剣さがみられないように思います。

修行中は、挨拶を非常に重視いたします。
行動もまた同じです。挨拶をしない、合掌の手の位置が低いと厳しく叱られました。

そして叱られた後は必ず「お前たちは大事な時間とお金を使って、何を学びに来ている?仏教か?違う、人と繋がるための言葉や動作を学びに来ているのだ。そうして学んだ言葉や動作を使って多くの人と繋がり、縁を広げ、自分自身を大きく広げるために今、修行をしているのだろう。」と諭されるのです。

日本語も英語も初めて教えてもらう言葉は、「こんにちは」であり「Hello」です。国は違えど、やはり同じ挨拶なのです。そこから人と人との縁は結ばれて、成長していくのだと教わりました。

「挨拶を真剣にできないものは、他のことも真剣にできない」と幾度となく挨拶の大切さを教えていただきました。

合掌

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