『新しい人や本に出会って視野を広げよう』
邂逅…聞き慣れない言葉かもしれませんが…
先日50回忌法要を行いました施主様のご縁で、平山郁夫さんの写真集にこの言葉がありました。先ず意味は「思いがけずに出会うこと 巡りあうこと」(広辞苑)
「人」との出会いに限らず「芸術」や「思想」など、様々な事象との出会いに使われます。因みに写真集では、「歴史との邂逅」でした。
邂逅と呼びたくなるような、後の思考や行動に影響を及ぼすほどの巡りあわせは早々あるものではありませんが、私達は毎日様々な人、物、いろいろな出来事に出合っています。
出会いには、良い出会いもあれば悪い出会いもあります。
仏教でいうところの「怨憎会苦」(おんぞうえく)。これは会いたくない人と会わないといけない苦しみのことを言います。
しかし、どうでしょう。本当に【出会い】自体に良いも悪いもあるのでしょうか?
それを判断しているのは、潜在意識の中にある末那識にあります。
その出合いが「己の五感に触れ、末那識が反応してしまう。」
末那識という絶え間なく自己に執着してやまな心(自己執着心)—その心を揺さぶるものとの出合いにより、大きい、小さいはありますが、ストレス、不安、不満が生まれ、心に波が立ちます。言い換えると、良い、悪いで判断するということ。これが波の正体です。
波の中にあって拠り所になるのは、八正道の最初にある『正見』。正しく物事を見る智恵。邪な見方をしないということ。
「正見」が無いと波の中で冷静に船を漕ぐことが困難となるでしょう。正しい判断(正思)が難しくなってしまいます。
だからこそ自己執着心である末那識に執われることなく冷静に見て考え、正しい判断ができるように日々向き合う。向き合えるように自分と向き合う。
『出会う』こと自体は、素晴らしいこと。出合わなかったら何にもおこらないのです。私たちは、この出会いによって生じる摩擦から様々なことに気づかされるのです。そのとき、どう考え、どう行動するか。
「新しい人や物に出会って視野を広げる」ことが、成長への一歩なのでしょう。