仏前結婚式


境内にひっそりとございます能舞台にて仏前結婚式を執り行いました。
不動尊で結婚式を行うのは、15年ぶりのこと。
新郎新婦のこれからの門出を祝うべく、長い毛氈の両隣にご親族の方々が座られ、仏様にお誓いをするお二人を見守っていただきました。
白無垢に紋付袴に能舞台、そして赤い毛氈と全てがマッチしており厳かだけれども華やかなとても良い雰囲気の挙式となりました。
今回このような機会を頂戴し、自分なりに色々と気づいたことがあります。
それは、この赤い毛氈を歩く新郎新婦の姿とその二人を両サイドで見守るご親族のお姿。
毛氈の端から端がまさにこれから二人で歩まれる『道』に見えました。

この道から飛び出さないために、両サイドでご親族の方々が座っておられる。まさにガードレールの役目をされているように見えました。
人生、歩んでいますと、色んなことがたくさんおこります。それはこの世界が、諸行無常であり四苦八苦ある世界だからです。思い通りにならないのが私たちが生きているこの世界。二人で歩まれると決意をされたとしても、それを脅かす諸問題はこれから幾度となくおこります。

この道を二人で歩むと仏様の前でお誓いをされたわけですので、これからおこる様々な事象からどうか脱線、飛び出すことなく歩いていただきたいと願っています。それは、私だけでなく新郎新婦のご両親をはじめご親族、またご先祖様も望んでおられます。

私たち人間は、そもそも飽き性です。継続が難しい。何らかの理由をつけて、三日坊主となりがちです。三日坊主こそ、自分が決めた道から脱線し飛び出してしまう行為のことです。
新しいことを取り入れたその瞬間は、新たな刺激があり充実感を伴い「道を変えてよかった」とまで思うことでしょう。しかし、それで得た充実感は時間が経てば、必ず失われます。
結局、飽きてくるのです。その度に、新たな刺激を求め、道を変えていってしまう人をよく見かけます。飽きるから新しいことを取り入れるのです。残念ながらそれでは、学びや発見、気づきというものを得ることはありません。
飽きてもその道から脱線しないで歩んでいると、そのうち、私たちはその道の中で、新風をおこす術を見つけていくのです。
どうか道を変えず思考が変わっていくまで、自分と向きあいましょう。

『石の上にも三年』とよく言ったもので、自分の決めた道ならば、とにかくその道から脱線ぜず飽きても、思考が変化するまで継続して歩んで欲しいものです。
お二人の朗らかな生活をご祈念しております。

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