「花よりも 花を咲かせる 土になれ!」
これは、国民栄誉賞を受賞した松井秀喜氏を育てた星稜高校の元監督、山下智茂さんのお言葉です。
「生徒たちが花を咲かせるための土になりたい」との思いを持って監督をしてこられたそうです。
この言葉に触れた時、真言宗の教主である大日如来の教えが想起されました。
「教え」とは、暗闇を照らす光明であり、それを智慧とも言います。密教では、大日如来の智慧を大地の特性である脳成長(のうしょうちょう)、所依止(しょえじ)、不念恩(ふねんおん)の三つに分けて説かれます。
脳成長(のうしょうちょう)とは、「よく成長させる」という意味があり、大地が草木を成長させ、育む力のことです。仏の智慧もまた、大地と同じくすべてのものを育み成長させる力があります。
次に所依止(しょえじ)ですが、拠り所と意味します。地震が起こった時に1番怖いのは、拠り所がなくなるということです。大地というのは、我々の拠り所であります。スカイツリーのような大きな建物でも大地があるからこそ建てることができるのです。
大地がすべてのものの拠り所になっているように、仏の智慧もまた、すべてのものの拠り所であります。
最後は不念恩(ふねんおん)です。私たち人間はつい、こうしたら、ああしてくれるんだろうと期待し見返りを求めてしまうことがあります。しかし大地は、すべての世間を背負っていても決して「重たい」と思うことも、土地代を求めてくることもありません。同じく仏の智慧も、見返りを求めない「無償の愛」のようなものであり、ただただ太陽のように私たちを照らすだけなのです。
このように大地は、よく仏の智慧を表しており、仏の慈悲心そのものであります。
人生において花を咲かせることは、非常に大切なことです。
満開に咲いた花もやがては枯れ、地面に落ち、土にかえります。そして次の花の肥料となるのです。
野球の元監督の山下智茂さんのお言葉をご紹介しましたが、野球の監督は、家庭で考えると親にあたります。
親が子どもを育てる1番の目的は、社会の中で生きてゆける人間へと育てることです。
子どもを育てるということは決して他人にお任せするものではありません。幼稚園や学校は、読み書き算盤を教えてもらうところと考えるのが本当であって、先生に全てを任せてしまうことは本末転倒であります。子どもを育て、欠点は正し、鞭打つのは親なのです。
子どもが社会で立派に役に立つ人間となるよう育てるのは自分の責任だということをよく自覚すれば、何でもかんでも園や学校に任せ、お金さえ払えばいいのだという考えが間違っていることに気がつくでしょう。
まず、親が先頭に立たなければならないという意識を持っていただく必要がございます。
「親が変われば子も変わる」
しかし、子育てもそう簡単なことではありません。誰もが悩み、苦しみ、いつかは壁があらわれます。その壁も自分の中にあって決して子どもの中にあるわけではありません。
私たち人間は、壁にぶち当たって悩むことにこそ価値があり、悩み向き合うからこそ真剣に考えます。真剣に考えさえすれば、必ず答えを見出すことができ、それによって行動が変わっていき、その態度をもって、子供も変わっていくのです。
子育てに終わりはないでしょう。また、子育てに限らずどんな立場でも、人の指導に終わりはありません。相手が学べるような行動をとっていくことが先に生きるものの使命です。そしてそれがその人の生き様です。真似ていただけるような生き様こそ「学び」に繋がります。子どもが真似したくなるような行動をしていくこと。これが親の務めではないでしょうか。
この花と土との関係のように綺麗な花が咲くためには、さまざまな縁が必要であります。土だけでなく、水や太陽の光、風などがあってはじめて一輪の花が咲くのです。
私たち人間も1人きりでは生きていけません。周りの「おかげ」をいただいて今この瞬間も生かされています。言うなればもうすでに恩恵を受けているということです。恩恵を受けっぱなしでは、バランスが悪い。だからこそ、社会の中で人の役に立ちながら生きていける人間を育てないといけないのです。それが「おかげ」をすでに頂戴している私たちの務めであり、先に生まれたものの使命ではないでしょうか。