生きておれば、大切な方との突然の別れを経験されたことがおありでしょう。
私の場合は、震災で亡くなった祖父につづき、二人目です。今回、お別れをした方は、私の父の弟さんで、叔父にあたります。その叔父とは、毎月一回二十八日に西宮のお寺で会っており、また今年の一月も西宮のお寺の大祭(火渡り)で一緒にお勤めをしておりました。
叔父は、春のお彼岸の二十三日の朝、時間になっても起きてこないので、ご家族が様子を見に自室へ行き、そこで倒れている叔父を発見したそうです。すぐに救急車で搬送されましたが、意識はなく、脳死の状態とのことでした。本人の生前の意思もあり延命装置は付けず、最後は親族のみ守るなか、旅立ちました。
次の日に通夜、二十五日に葬儀を西宮の自坊の会館で執り行いました。
お葬儀の導師は、叔父の兄にあたる私の父が勤め、私も脇で読経をいたしました。お勤めが始まり、諷誦文を父が読み始めた瞬間、声がつまり感情が溢れ、涙ながらに唱えるその姿は、弟を思う兄の姿でした。会場は、その姿に心うたれ、親族一同、涙ながらに手を合わせていました。諷誦文を読み終え、次は私がお経を読む番でした。最初の独唱の部分は、なんとが声が出ましたが、それ以降は、流石に感情を止めることができず、無言になってしまいました。私も叔父を思い、悲しみに打ちひしがれる者の一人。
今まで、僧侶として、感情に振り回されるのは、いかがなものかと思い、冷静に向き合えるように修行をしてきたつもりでした。またそうあるものだと思っておりました。しかし、叔父との別れが悲しく涙で読経が出来ない事態に陥ったことは自分でも驚いております。
震災で急死した祖父の死に触れ、考えた結果「笑顔で生きる」ことが最大の供養だとそう気づき生きてきました。しかし、叔父の死に触れ、笑顔でいられないという現実を目の当たりにし、本当の供養はどこにあるのかを改めて考えるきっかけとなりました。
そんななか、お大師さまのお言葉に出会いました。お大師様の一番弟子である智泉師が三十七才で旅立たれた時に書き記した、
「為亡弟子智泉達嚫文」の中に、お大師様の思いが書き綴られていました。
哀しい哉 哀しい哉 哀れの中の 哀れなり
悲しい哉 悲しい哉 悲しみが中の 悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 また哀しい哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて 悲しい哉
悟りを開けばこの世の悲しみ驚きは
すべて迷いの生み出す幻にすぎないことはわかっています
それでも あなたとの別れには涙を流さずにはい られません
真言宗開祖のお大師様が、とても人間味のある言葉を残されています。
涙が出るのは、その人と真剣に向き合ってきたからです。悲しい時は、悲しんでいい。その悲しみの涙もまた、その方のご供養になるんだということ。
笑顔で生きるのも供養であれば、涙を流し悲しむその姿もまた供養であったことを改めて気がつきました。