把握反射をご存じでしょうか。赤ちゃんの手や足に何かが触れると反射的に握ろうと指を曲げ、掴む反応のことです。これを原始反射というそうです。
この反射は、人間の赤ちゃんだけではなく、猫などの赤ちゃんにも備わっている行動です。
我々の執着の根源は、ここにあるように思います。執着を手放そうと思っても、なかなか手放せないのは、生まれた時から身についている「掴む癖」からきているのでしょう。
だからこそ、反射的につかんで離さない指を、意識して離していくことが大切ではないでしょうか。意識して執着から離れる努力が必要で、そうでないと掴もう掴もうという行動を自然ととってしまうからです。
では、執着とは一体何なのか?
そもそも、執着がすべて悪いということではありません。仏教では、大きい執着、大欲とも言いますが、自分ひとりの幸せではなく周りも含んだ幸せな行動。いわゆる、誰もが幸せになる行動のことです。誰かが犠牲になることで成立するのではなく、あきらめない、前向きな行動は認めています。
その反対に、小欲、我欲とも言い、自分だけが幸せになれば良いという欲は、認めていません。「絶対に手に入れたい」「手放したくない」と思っていても、そもそも自分以外をコントロールできないのがこの世の定めです。つまり、その行動によって近づいてくるのは、実際は手に入らないが故に、不安や哀しみといった負の感情ばかりなのです。
大欲と小欲の違いは、そこに大きな喜び(大楽)があるのか、それとも苦しみばかりを伴うのかにあるのです。
小欲からくるこの執着を減らすために、人や物を自分から遠のけたとしても残念ながら心を整えなければ何も変わりません。
例えば、物を捨てられない人がいるとしましょう。無くなること、手放すことに不安を抱え、物があることへの安心感に執着しているのです。
このように執着の原因を探り、その背後にある感情をみつめてください。
そうすると大体この4つに集約されます。
・恐れと不安
・自分を否定されたとき
・変化への恐怖
・過去への執着
どの人も身に覚えがあることだと思います。
そして、この心の感情から脱するためには、
まず、今の現状をありのまま、受け止めること。次に自分が納得する答えを見つけること。またその努力が大切です。そして、相手をどうにか自分の思うようにしたいという「欲求」を手放すことです。
私も8年ほど前、一緒に働いていた同期と意見がぶつかり、その人のことを考えすぎて朝のお護摩の時間なのに、その人が脳裏によぎる日々が続きました。
この時私は、「何をやっているのだろう」と、こんな気持ちで朝のお勤めをしている自分が情けなくなりました。それだけ、思い通りにならないその人のことを考えていたのだと気が付き、自分に呆れました。
ただ、このおかげで私はこの執着から離れることができました。
自分自身を窮屈にしているこの執着を手放し、目の前のことに集中する。その為には、コントロールできない他人のことを考え振り回されるのではなく、「今自分自身が幸せになるためには何をすべきか」を自問自答し最善を尽くす。ただこれだけで良かったのです。これに気が付けたのも、毎朝決まった時間にお勤めをしていたからです。
生まれた時から持っている「つかむ癖」から自由になるためには、「緩める癖」を身に付けていくことが大切なのです。
身に付ける方法として、合掌をお勧めいたします。
合掌の姿こそ、掴もうとする手を伸ばし、掴まないように手と手を合わせた姿。緩める癖を身に付けるためにも、仏壇での読経、縁日、朝勤、写経、瞑想はおすすめです。