
先日、観月護摩を厳修いたしました。境内の真ん中に護摩壇を設置し、19時から屋外で行いました。
この行事はコロナが機縁となっております。コロナの流行で一時的ではありましたが、ソーシャルディスタンスが根付き、お堂で何かをする事が困難になりました。なので「お堂の中が駄目なら外でしましょう」ということで始まった行事で、今年で4回目を迎えました。
昨年に引き続き、とても綺麗にお月様を拝むことができました。
あがってくるお月様の方角に向いて護摩壇を設置し、お護摩の斜め上にまん丸なお月様が光り輝き、なんとも言えない非常に神秘的な雰囲気の中でのお勤めとなりました。
参拝者の方々には、「月見団子」をお下がりとしてお配りし、喜んでくださいました。
また、タイミング良く「豊中天文協会」に所属されている地域の方からの申し出があり、観望会を合わせて開くことができました。望遠鏡を通してのお月様は、なんとも言えないぐらい光り輝いていました。
外での護摩は、月の光のもと、風も吹き抜け、自然を感じながらの護摩修行となり、普段お堂の中でしか護摩を焚きませんので、とても新鮮でいつもとは違う五感に触れながらのお勤めとなりました。
普段の生活で上を見上げる機会はあまりないかと思います。私自身、中秋の名月のこの日だけは、普段に増して空を見上げていたのも事実でございます。
空を見上げていると、その広大さに心がスカッとしていきます。それはストレスで心が押しつぶされている時、その原因が空の広大さに比べるとちっぽけなことに気がつかされるからです。
本来、私たちの「心」は中秋の名月の様にまん丸で燦々と光り輝いているのです。それを仏性と言います。
しかし、普段はその満月の様な心の周りに、煩悩や執着という雲の様なものが纏わりついて離れず、その綺麗なまん丸な仏性を見えなくしているのです。
そんな状態が長く続くと、それが当たり前になってしまい逆に居心地が良くなってきてしまうのです。そうなると、綺麗にするのも億劫になり、まるでゴミ屋敷の住人の心の状態とイコールになってしまいます。そうならないように、心も風通しをよくしておくことが大切なのでしょう。
空は常に変化しているのです。雲がお月様を隠していたとしても、それは永遠ではないのです。必ず、その雲は消えて無くなり綺麗なお月様がまた顔を出すのです。
今、自分の身に「しんどいこと」や「思い通りにならないこと」「悩み」「苦しみ」があって、心が苛まれている状態であっても、それは永遠ではないのです。
空の雲が変化していくのと同じように、いつの間にか消え去っていくのです。これがこの世の真理なのです。
嵐はいつか過ぎ去り、雲の上に広がっている青空のような感情が再び戻ってくると思えるようになるのです。
来年の中秋の名月は、10月6日(月)となっております。ぜひ、自然に五感を傾けながら空を見上げ、リフレッシュしにお参りくださいませ。