お参りの方が着物をお召しになっておられたので、茶事ですか?とお尋ねをしましたら、市内にスペイン語を習いに行くとのことでした。英語でも中国語でもなくスペイン語ときたものですから、わたしも興味がわいてきてしまって、どうしてスペイン語なのですか?とお尋ねしましたら、「フラメンコの教室に通っている」とのこと。自分には、あまりにも馴染みがなさ過ぎて思わず、なぜフラメンコなのですかと質問してしまいました。すると、「教え子がフラメンコの先生をしているから」とのこと。教え子ということですので、この方は教師を生業にされていた方でした。ここまでは、よく理解ができたのですが、私の中で一つ不思議に思うことが残っていたので、さらに問いかけました。なぜ着物でスペイン語を習いにいっているのですか?と。すると、「スペインに行った際、子供たちに着物を着させてあげたい」という夢がおありだったのです。
私がここまで興味を持ちお尋ねし続けたのには理由があって、その方の表情がとても素敵な笑顔で生き生きとされていたからでした。私の心も共鳴しウキウキしてきて、お話をお尋ねするのが楽しくなって質問の連続に到りました。
とても充実した日々をお過ごしになられているように見受けられたので、いつから着物やフラメンコやスペイン語を習い始めたのかをお尋ねしましたら、きっかけは大病を患ったのが機縁になったということでした。
大病を機縁に言葉では語りつくせないほど自問自答を繰り返されたことでしょう。そこで得た答えが、せっかく母からもらった着物をそのままにしておくのは、あまりにもさみしいから「着物を着よう」と発心されたとのことでした。
大海の水のはじまりは、たった一滴の水なのです。一滴一滴の水がどんどん溜まってやがて大海となるのです。
大病を機縁に母から頂いた着物を着ようと発心し、その一つの発心が、週に一回着物を着ることにって、さらにスペイン語やフラメンコ教室に通い、スペインの子供たちに着物を着させてあげたいという目標へと繋がっていったのでしょう。
ほんとに素晴らしい生きざまに触れ、ついつい私もウキウキしてとても楽しいひと時をいただきました。
発心に年齢や病気や環境は、関係ありません。どうか、一つの発心を起こしてください。そして今ある命を生かしてください。すると、その心の生き生きとした心はご自身の中でもよい連鎖が起こります。そしてその生きざまを見聞きしている周りのひとにも良い影響を与えていっているのです。
自分の自由にはならないこの命。だけれども今この瞬間、輝いている尊さ。
明日に繋がる発心を起こした暁には、ぜひ、私にお聞かせくださいませ。そして楽しいひと時をともに過ごせたら幸いです。