出家という言葉をご存じでしょうか。大半の方が家を離れ仏門に入ることだと認識しているのではないでしょうか?仏門に入って修行することではなく、自分の固定概念や自分の小さな殻から脱することを出家というのです。
自分というものをどんどん捨てていくことであり、脱いでいくことなのです。
「覚悟が決まる」とは、「いろいろな準備や条件が整ったうえで覚悟が決まる」とお思いでしょうが、それは逆なのです。「覚悟を決める」からこそ、必要な準備や条件が整ってくるのです。
隣に島熊山があるのをご存知でしょうか。山といっても雑木林です。軽装で充分歩き回れます。だけど、富士山となるとそうはいきません。富士山に登頂するとなると、それ相応の準備品が必要で体力もかわってきます。
覚悟が決まるから、いろんなことが変わってくるのです。だからこそ、頑張れるのです。
「覚悟を決めれる心の強い人間になりたいです」とおっしゃる方をお見かけします。
根本的に違う。覚悟を決めそしてその決めた覚悟を小さくてもやり遂げていく。すると、だんだん覚悟を決められる人間になっていくのです。
覚悟を決めて、その自分が決めた覚悟を「やり遂げていく」その経験を積み重ねることで、心の強い人間となっていくのです。
だからといって、それが「成就」するかどうかは、全くの別問題です。そうなんだけれども、自分が覚悟を決めたことについて、やり抜いていくから、力がついて自信もついてくるのです。
なので、まず覚悟を宣言してください。そして、覚悟を決めて周りのひとに突っ込まれないように整えてください。そうでなくても周りは、良かれと思っていろいろと突っ込んできます。突っ込ませないように準備をしっかりとすすめていくのです。
要は、最初に覚悟を決めるからこそ、物事がスタートしていくのです。
よくあるのは、「できなかったらどうしよう」と土俵に乗る覚悟もせず、出来ない想像をして、疲弊し覚悟を決めることをやめてしまうパターンです。
同じエネルギーを使うなら、覚悟を決めて準備を考えることに使ってください。
そして、死ぬ気でやってみてください。この人生、思い通りにはなりません。でも死ぬ気で頑張っていたら誰かが必ず助けてくれるのです。いい加減に生きていると助けられないのです。私もそうやってここの住職として生きてきました。初めは小さな覚悟で誓願をたててやり抜き、少しずつ大きな覚悟へと変化させ、それもやり抜いてきました。そうすると、周りに人が集まりお寺も活気がでてまいりました。
学歴や資産の有無ではないのです。死ぬ気で生きてきた人たちは、面白いほどにどこかで道が開けてくるのです。人生というのは、自分一人でなんとかしていくのではなく、自分が覚悟を決め準備し死ぬ気でやり遂げることによって、助けてくれる人たちがどんどん身の回りに増えてきて、突破口が開けてくるのです。
これこそが、人生の豊かさであり、面白いところではないでしょうか。
何の保証もないこの人生だからこそ、自分がその言葉を吐ける人間、覚悟をもって成し遂げていく人間となり、そんな人間が周りから信頼される人間となるのです。
「やってみないと覚悟は決まらない」が、この世のことわりです。踏みとどまっている方がおられれば、一歩前にでましょう。応援しています。